作品を作品として楽しむ
こんにちは!しろがねです。今回は、最近私が気づいたことについて、話そうとおもいます。
少し前までの私は、どこか意欲に欠けたところがありました。高1の頃は勉強に読書にと意欲に溢れていました。ところが、大学1年生になってからというもの、自分の思うようにやる気がでません。
確かに、高1の頃と比べて、一人暮らしを始めたり、バイトを始めたりと、やることは増えました。おそらくこれも原因の1つでしょう。キャパオーバーというやつですね。
私はこれをベクトルにみたてて考えています。やることが多いと、それだけ1つのことに分配するエネルギーが少なくなります。
大学一年生の私はこのエネルギーを分配しすぎて、ほぼ空の状態になっていたのでしょう。
しかし、それにしても、高1の私と大学1年生の私はエネルギーの総量が違う気がします。
では、エネルギーの総量を増やすにはどうすればいいのか、方法は以下の2つです。
- スパルタ精神
- 休憩の仕方
まず、スパルタ精神についてですが、高1の私はかなりストイックだったとおもいます。
今、思い返すと、エネルギーの総量を増やすには、やはり、ある程度のスパルタ精神が必要だと思います。これは自分を律する力であるともいえます。
そして、2つ目の休憩の仕方ですが、一言でいうと、作品を作品として楽しむということです。つまりはただ依存して、惰性で行う休憩をするなということです。
例をあげるとすると、タバコに依存してタバコを吸っている人は、本当にタバコの味を楽しんでいるのでしょうか?私はそうは思いません。そのようにタバコを吸ってもまったくリラックスすることはできません。タバコの味を楽しんでこその娯楽だと思います。
このことを考えて、私は自分の生活を見直しました。そして、次々と問題点が見つかりました。
まずは、テレビです。私は家にいるときは大体テレビをつけていて、テレビ番組の時間が私の生活の時間も管理していたようにおもいます。ただ惰性でテレビを見てもリラックスしませんし、何より自分の生活を自分の決めたリズムで送っていない、これは大きな問題です。なので私は毎月15日あたりの土曜日にテレビデーをつくりました。この日だけはテレビを解禁します。よくよく考えてみれば、なにもリアルタイムで見ずに、録画しておけば、何も問題はありません。
2つ目の問題は、中学時代からの趣味であるアニメ鑑賞です。これに関しても、いつのまにか、作品を作品として楽しまず、ただ惰性で見るようになっていました。
ヒントをくれたのは委員長と呼ばれる友人でした。委員長のアニメ鑑賞の仕方は、夜、寝る前に2話ずつアニメをみるという鑑賞方法でした。確かに、この方法ならあまり時間をとられませんし、何より作品を集中して楽しみ、リラックスすることができます。こんなに素晴らしいことはありません。
アニメを1日に何話も見ていると、疲れますし、アニメの内容を覚えてはいるんですが、あまり深く覚えてはいないんですよね。
そういうわけで、私は大好きなアニメをこれからも楽しむために、1日に2話という制限をつけました。念のため書いておきますが、これは毎日2話見ろということではなく、別に見ない日があってもいいです。
まとめますと、リラックスというものは、惰性でやるものではなく、しっかりと分別をつけて行うことで、より優雅で効果的なものになるということです。
惰性でやっても、効果は逆にマイナスのものになります。